無意識は本心?

自分自身的に衝撃的なできごとだったので、心の整理がてら。。。

 

性格上どちらかと言えば言いたいことを『グッ』と堪えるタイプな私。
それはいいことでもあるし悪いことでもありますよね。世の中的には悪いことのケースが多い気がしますが、どうでしょう。
彼女に「(あなたの)キモチなんて、コトバにして言ってくれないとわからないのよ!」とハッキリ言われた苦い思い出も。そのときはまだ若かった(っつーてもオトナになってからの話だけれどもね。。。)こともあってちょっと流しちゃったけれども、今ではとてもとても流せないですね。もう、自己嫌悪に陥るくらい。
<今、違うパターンでその自己嫌悪な状態なんですけどね。。。>
言わないといけない場面があるのも事実。ただ、今自分が「いいたい!」っていう判断基準だけでコトバを口にするってことは(自分的には)とても難しくて、
「本当にこの場で言うべきことなのか」
「立場や状況上、言ってもいいことなのだろうか」
「言って場の”流れ”を崩さないだろうか」
自分自身発言に対して石橋を叩きまくって渡ることが正しい、と思っているところが性格の根底にあるわけです。だから石橋を壊しちゃって渡れないことが多々あるのですが(ため息)。。。それでもその場の状況を壊すよりはまだいいのでは、という考えなのです。
それは立場が逆になっても同じ。「趣旨や意図はわかるけれど、今そういう発言はないんじゃないかな…」と思うことがたまにあります。けれどそこで目くじら立ててもなんにも解決しないですよね。本当に気になったときはその場はこらえて、あとから意見を個別に話したりします。

(こんなある意味面倒くさい性格なことは、私と付き合いの長い人だったらわかってくるかもしれませんね。)

・・・と、やや偏りはあるものの、”発言”や”他人の発言に対しての振る舞い”については分別がはあるつもりだった私が、驚いてしまった出来事が起きました。それも短時間で2回も。

 

とある会話の流れで、相手の発言に対しまったくの無意識に、普段の自分なら決して口にしないコトバをボソッと発していたのです。具体的には書きませんが、普段石橋を叩きまくっている自分なのにあまりにストレートに(相手の見解にやや否定気味な)コメントをしてしまったのです。
会話の相手やまわりにいた人には聞こえなかったかもしれないし、聞こえていたかもしれないけれど気にならなかったかもしれない。けれど言った本人は言葉を発したその数秒後には内心パニックなのです。
「えっ、今、何てコト言っちゃったんだ!?」
そうい状態でも会話は普通に続いていたものの、数分後にはまた無意識に否定気味なコトバを口にしている自分が。。。
その場の会話はなんなく終わったものの、その後の自分はもう大変。その後平静を装って過ごしたものの、帰宅して今こうしてこの投稿を書いている今も、なぜあのときあんな言い方をしてしまったのか、初めての経験に、分別や制御ができていると思っていた自分自身の認識が崩れてしまったことに、がっくりしています。そう、自己嫌悪。

 

本当の自分のキモチは、自分自身でもわからないものなのか?
単に何かがキッカケで冷静さを欠いていただけかもしれない。
逆に会話の内容をあまり考えていなかったり集中していなっかだけかもしれない。
いずれにしても、まだまだとても「分別がある」オトナじゃないってことを、キチンと認識し直さないといけないな、と今痛烈に感じています。

 

まだまだコドモなんですね。
明日からはキチンとしないと。

追伸:
たまには中身はなくてもこういうマジメなことを書いてもいいですよね?
ブログなのですから。。。

 

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